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創造する伝統とは 保守から前衛へ

「創造する伝統」(Tradition créatricé,トラディシオン・クレアトリス)とは、フランスの哲学者ベルクソンの言葉「創造する進化」(L'Évolution créatricé、レヴォリュシオン・クレアトリス)からの転用である。日本文化藝術財団で最初の秋季行事の構想をめぐって、いまはなき勅使河原宏氏や秋山邦晴氏と議論をかさねていたとき、私も含めて三者異口同音に唱えるにいたったのが、この言葉であった。
 本財団はその名のとおり、日本の文化とくに藝術の、頑迷なほどの継承、保存と、その熱心な再生、また周到な研究の努力を評価し、支援する。日本藝術のこの豊麗な伝統のうちにこそ、日本列島の住民の究極のよりどころ(アイデンティティ)はあり、世界への寄与の源泉はあると信ずるからだ。それなのに、今わずかでも手をゆるめ気をゆるめると、この藝術伝統は「情報化」「国際化」翼賛の声のなかに忘れ去られ、消散しそうな趨勢にある。このようなときにこそ、伝統保守の頑迷さは尊重されなければならない。
 だが甕を満たした水がやがて静かに溢れはじめるように、保持された伝統から少しづつ溢れ出てゆくものがある。満を持してやがて流れ出るその滴り、その秘められた持続の力こそが、「創造する伝統」の正体であり、眞の前衛のすがたでもあろう。創造のために伝統を活用する、などというのではない。そんな功利主義は浅はかだ。伝統の学習が深まったところに、わずかな外からの刺戟が、あるいは思い余った気まぐれが、意外な新展開をうながす――そのような伝統のなかからのおのずからな創造をこそ、私たちは期待し、尊重する。
日本の伝統をふり返ってみれば、利休も、織部も、光悦も、宗達も、世阿彌も、芭蕉も、北斎も齋藤茂吉も、みなこの「創造する伝統」を体現した前衛の藝術家であったといえる。Tradition créatricéとは、その様態そのものが日本文化の最良の伝統だったのではなかろうか。

(日本文化藝術財団設立十周年記念誌「創造する伝統-その波とひびき」より)

公益財団法人日本文化藝術財団 顧問 芳賀 徹 (比較文化史、比較文学)

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