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日本文化藝術財団 出発にあたって

 近代西欧文明の申し子である人間中心主義、人間賛歌の思想、つまり人間は万物の霊長であるという、ひとりよがりで不遜な文明思想と、どうしても訣別しようという決意の表明が、この日本文化藝術財団の出発です。
地球上の生物は皆、まことに驚嘆すべき宇宙の神秘に育まれて生きてきました。ただ人間だけが、その摂理を無視し、無限の欲望を満たそうとして今日に至りました。
天も地も人間のためにだけ存在しているのではありません。森羅万象、ことごとく共存共生してこそ、人間もまた生きることができるのです。
荘子の言葉に、「故に足の地に於けるや賤む、賤むと雖も、其の賤まざる所を恃みて、而る後善く博きなり(人が歩く場合に足の踏み場はほんの僅かであれば足る。しかし、その周りの踏みつけていない大地、無駄ともいえる余地があるからこそ、人は歩くことができる)」というのがあります。
この思想こそ現代文明を超克して新しい人間観、世界観に基づく地球文明を生み出す哲学です。そして、このことこそ、この財団の背骨であり良心です。
ちょうど一世紀前、アルフレッド・ノーベルは財団を設立して、二十世紀の進歩と発展に貢献した多くの人々を懸賞し、賞を贈ってまいりました。彼は西洋文明が高揚期を迎える十九世紀後半、自分が発明したダイナマイトがやがて戦争のための巨大な殺戮の道具として使われるのを見て爆弾の開発と軍需産業で得た富を財団の基金としました。彼は戦争を憎みながら、爆弾が戦争の抑止力となると主張し続けました。
このノーベルの自己矛盾こそ二十世紀文明の二面性の象徴であるといえます。マンハッタン計画の中で原爆を開発した科学者達が激しく戦争と暴力を憎んだのとよく似ています。
進歩発展を基調とする科学技術文明は、常に功罪相半ばする二面性を持っています。
日本文化藝術財団は、いわばこの文明に背を向けて、或いは、これと正面から対峙して生きてきた人々、現代文明に常に批判の目を向けてきた人々、そういう良心と勇気の持ち主たちの側に立ちます。 いったい文化や藝術と取り組み、これを語ることによって、「生きるとは何か、生命とは何か、それらを大きく育む宇宙とは何か」という、この大きな命題に答える力になるのだろうか。そのことを深く自問自答しながらも、やはりこの道を歩いて行く決意をいたしました。

(平成5年11月5日)

公益財団法人日本文化藝術財団 評議員 徳山 詳直

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